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  • オーガニックな在り方デザイン・畑で考え学ぶサロンを通じて巡り逢った仲間たちが織りなす世界観

「凛」としたなにか

「凛」=態度・気持などがひきしまって、きちんとしているさま。また、勇ましいさま。りりしいさま。

みなさんこんにちは。ヤナギサワです。
梅雨入りが宣言されたわりには、それほどまとまった雨が降っている感じは受けませんが、いかがお過ごしですか。

そんななか、これまで普通と思われていた生活を、昨年からのコロナ禍により変容せざるを得なくなった人はたくさんいると思います。
さらに言えば、コロナウィルスだけでなく、政治や経済などを含めさまざまな社会不安が顕在化し、人々の価値観も大きく揺れています。

私自身の例でいえば、この1年ほどのあいだ、コロナ禍に対する見解について、他の社会問題では意見を同じくしているように見えた人たちが、執拗以上に自分の意見を押し付け、他者を攻撃、批判していることに驚かされました。
持論を論理的に展開するならまだしも、狭いSNSだけの世界で、匿名ではなく、さらに多少なりともつながっていた人たちとつながりを切るだけでなく、執拗に攻撃できることに、本当に驚いたのです。

そしていろいろと考えた結果分かってきたのは、arila!のコンセプトでもある「在り方」が大きく関わってくるのだなということ。

私自身も、社会で日々起きている政治の汚職や人々の無関心に日々怒りを感じ、それに対する意見はSNSで発信していますが、それと自分自身の生活を豊かにするためにすることを並行、むしろ優先してやっています。
いうなれば、言わなくてもいいことは言いたくないし、個人を相手に余計な軋轢を生むことはもちろん、そもそも怒るのも、必要なければしたくない。
そんな時間があったら、もっと自分の生活に注力し、そのために時間を使いたいと心から思うのです。

だから私は今回の経験を通じて、自分の在り方をより明確にできましたし、そうした人たちと距離を取ることに迷いはなくなりました。
本当ならみんないっしょに仲良く、批判もしないで、というのが理想でしょうけれど、そうした投げかけをしている教祖のような人と、それにすがることで救われると思っている依存体質の人もかなり多く、そういう関係性って私は性に合わない。
また、そうした投げかけは本質的な社会の問題に向き合わなくてもいい、という自分らだけの都合のいい逃げ道も含んでいると感じてしまうんですよね。

私自身は、この社会をよりよいものに変えていくには、キラキラでハッピーだけじゃなく、厳しさも含めた「凛」としたなにかを前提にして、自分の意見もしっかりと表明しながらも他者と協力して生きていく。それが自分の在り方であり、そう在りたい、と強く感じています。
「他者と協力して生きていく」というところが、昨今はやっている「自分だけが勝てばいい」という、個人主義的な考え方とは大きく違っているのです。

非常に伝えることが難しいテーマを書き出してしまいました。
でもarila!読者のみなさんなら、つたない私の言葉から、私がお伝えしたい本意のエッセンスを感じ取ってもらえるかなと、今日はちょっと深い話をさせてもらいました。この投稿を読んで、もしなにか感じた方がいれば、忌憚なくご意見やアドバイスをいただければと思います。

もちろん私自身も、他の人から観れば実践できてない、という場合もあるでしょう。
そもそも私自身が、上に書いたようなことを実現できているとは思っていません。
また自分の在り方を過信しすぎると、異なる意見を認めないだけでなく、許せなくなってしまうのであれば、自分が変わらねばなりません。
まだまだ私自身の「凛」とした在り方へ修行は続いているのです。

投稿者プロフィール

柳澤史樹
柳澤史樹
マインドフルカフェ®︎ ナビゲーター。
人の生きてきた軌跡である「自分史」を自らのライフワークとし、そのエッセンスを組織開発や人財開発に活かすために開発された学びのプログラム「マインドフルカフェ」ナビゲーター。
一般社団法人「自分史活用推進協議会」認定の自分史活用アドバイザーとして個人向けの自分史講座も開催しているほか、メディアなどでも執筆。
「自分史とは過去の振り返りだけではなく、現在の自分の座標と、未来への解像度をあげる最高のツールである」をモットーに活動中。

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