自由学園 インタビュー 第一回 【自由の意味と食事作りの歩み】
中心に「食堂」を持つ学校…… それはいったい、どのようなところなのでしょうか?
「日本と世界の良質で本質的なエディブル・エデュケーションを繋いでいく」Rice Ball Networkで、私たちはまず東京・東久留米市にある学校法人・自由学園を取材したいと思いました。
東京都内とは思えない広大で自然豊かなキャンパスを持つ自由学園の真ん中には、なんとも素晴らしい建築物である食堂がありました。
創立から95年という歴史の中で行われてきた食の学びについて、この4月から学園長に就任した高橋和也さんと、食糧部部長・石川章代さんに行ったインタビューを、3回に渡ってお届けいたします。
自由学園
ジャーナリスト羽仁吉一・もと子夫妻によって1921年に創立された、少人数制一貫教育の学校。現在は東京都東久留米市に校舎を構え、「幼児生活団幼稚園」「初等部(小学校)」「女子部(中等科・高等科)」「男子部(中等科・高等科)」「最高学部(大学)」がある。“生活即教育”を基本理念とし、自然との関わり合いを重視した、特徴的なエディブルエディケーションを行っている。
自由学園HP
■与えられた自由をよりよく使うための「自労自治」
自由学園女子部の校舎(提供:自由学園)
── まず、自由学園での「自由」のとらえ方をお教えください。
高橋和也さん(以下、高橋):自由学園の自由は、聖書からきています。ヨハネによる福音書の8章32節に、「真理があなたたちを自由にする」という一節があり、そこから名付けられています。羽仁吉一・もと子夫妻はお2人ともクリスチャンでした。
一人ひとりの命は神様から与えられている。さらに、意志の自由も与えられている。では、その与えられている命と自由意志をどう使っていくか。それを学ぶのが自由学園の教育です。
自分だけのために自由を使うと、利己的な生き方になってしまう。人間中心になると、自然環境を破壊してしまう。社会のときどきの流れに沿うだけになってしまうと、例えば戦時中でも求められることに応える人になってしまう。
自由意志で何かを選ぶとき、自分の軸となるものは何か。自由学園では、宗教的に言えば神様の前で、自分自身で本当によい判断ができる人を目指していきたいと思っています。一生の課題であり、難しい話なのですけれども。
── 現代で言われているような、いわゆる「自由」のニュアンスとは少し違いますね。
高橋:そうですね、「なんでも好きにしていい」という自由ではない。ただ、僕たちはなんでも好きにしていい自由を、与えられてはいるんですね。どういう生き方をするかは、一人ひとりの自由ですから。だけど、そのときに「その自由をよりよく使うとはどういうことなのだろう、そのために必要なこととは何だろう」ということを学んでいくのが、自由学園といえます。
ただ、つきつめていくと、人間は本当によりよい自由というものを選べるのか、という問いになる。人間はもともと利己的な存在です。いろいろな意味で、自分中心でないと命を守れない。例えば、食べるためには豚の命を奪わざるを得ないですよね。そんな自分自身を見つめ、「豚なんか殺されて当然だ」と思うのかどうか。スケールを広げると、「日本が豊かならほかの国は貧しくてもいい」と思うのかどうか。
重要なのは、自分というものの“枠”をどれだけ広げられるかです。そのために、子どもたちの社会的生活を、この学校ではすごく大事にしています。
── 現代の日本社会において、良く言われるのは「自由には自己責任がともなう」ということです。でも、高橋先生がおっしゃる「自由」は、それよりさらに深い。
個人個人がどんな風に自由を捉えるのかというのは、日本の、世界の課題でもありますよね。
高橋:自由学園では、自分たちのことは自分たちでします。幼稚園の子だったら、朝は自分で起きるとか、食事の用意を手伝うとか、そういうことから始まって、小中高、大学生も、それぞれのレベルで自分のことを自分でしている。
これは「自治」という言葉で表現されます。さらに、「自労」という、「自分で労する」と書く言葉を前につけて、「自労自治」という言い方をしています。
自労自治を続けていると、だんだん自治の「自」が、自分だけではなくなって「自分たち」になるのです。「自分のことは自分でする」から、「自分たちのことを自分たちでする」へ。自分だけがよければいいのではなくて、一緒に住んでいる部屋の仲間だったり、クラスだったり、学年だったり、学園だったり、東久留米だったり、日本だったり、世界だったり・・・と、だんだん枠が広がっていく。
例えば環境問題について考えるにしても、教科書から知識だけを学ぶのではなくて、まず「自分たちの暮らしってどうなの」というところから始まって、だんだん見識を広げていく。それが、自由学園の理念である「生活即教育」ということです。
高橋和也さん;自由学園を1984年に卒業。
男子部部長、副学園長を経て、2016年度から学園長に就任。
── 基本的なご質問ですが、教科書は文部科学省が定めた一般的なものを使っているのでしょうか?
高橋:そうです。ただし、教育に対する取り組み方が違います。ここは自然環境が豊かなので、環境そのものが教科書になるし、生活そのものが教科書になる。
以前、文科省で学習指導要領をつくっている大学の先生が、自由学園に関心を持って見に来られたことがありました。最初は時間割表などの資料を見て、「自由学園はどこに特色があるの?」と聞かれました。「多少変わったカリキュラムが入っているけど、普通だよね」と。
ところが、試しにここで3日間生活をされたら、すごく驚かれた。上級生と下級生が共同的に生活をし、掃除の場であったり、食事の場であったり、時間割に書かれないもののなかに、たくさんの学びが織り込まれていると言って帰られた。
── 独自のカリキュラムとなると、それがどんなによくても一般に広まりにくい。その点、自由学園のよさは公立の学校でも取り入れられそうですね。
高橋:自由学園は特別だと思われがちですが、本当はどの学校でもできるはずです。
自由学園初等部の昼食風景(写真提供:自由学園)
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<自由学園の昼食づくり>
・女子部(中等部・高等部):各学年の担当者約20人が毎日交替で女子部全体にあたる約350人分の昼食を調理している。
・男子部(中等部・高等部):木曜を除く月曜から土曜までの5日間は、都市近郊に住む父母6、7名に衛生管理者が加わり、男子部全体にあたる約210人分の昼食を調理している。木曜日は高等科2年生が学年の半数の生徒で調理している。
・初等部(小学校):全父母からの6、7名に衛生管理者が加わり、初等部全体にあたる約200人分の昼食を調理している。
※幼児生活団(幼稚園)では父母と衛生管理者が調理、最高学部(大学)では調理員が調理している。
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■昼食は、生徒が食材を仕入れ、父母が料理をする
── 自由学園は、創立以来、温かい食事をみんなで揃っていただくことを大切になさっていて、校舎の建築も食堂を中心に設計されている。さらに興味深いのは、自由学園では親御さんたちが生徒たちの食事をつくっていることです。その取り込みは、いつ、どういったきっかけで始まったのでしょうか?
石川章代さん(以下、石川):実際に父母が食事をつくり始めたのは、昭和5年(1930年)です。昭和2年(1927年)に女子部に続いて初等部が目白に新設され、昼食は女子部の生徒がつくったものを食べていたそうです。校舎が今の東久留米に移ったとき、父母が学校に「女子部の生徒が自分たちのことを自分たちでしているのだから、子どもたちの食事は私たちでつくらせて欲しい」と申し出たそうです。
学校としてもそれはありがたいので、親と職員が共同で食事づくりをしていたという記録があります。次に男子部ができたときも同じで、子どものために力を出したい親を学校がサポートする形で始めたようです。
── 女子部の生徒が自分たちで食事をつくっていたのは、創立当初からですか?
高橋:そうです。最初は創立者の家の台所を使っていたようです。
石川:創立者の家でみんなで一緒にごはんを食べましょう、というところから始まったみたいですね。
── 食事を全員分つくるというと、大量調理になると思うのですが。
高橋:とはいえ、自由学園は基本的に1学年1クラスですから、一般的な学校よりは人数は少ないです。現在(2016年度)は初等部だけだと全員で157名です。
── 父母による食事づくりの、道のりをうかがえるでしょうか。
石川:記録によると、父母会の常任委員が行っていた食事関係の事務を、昭和7年(1932年)に誕生した「小学校食事研究部」が担うようになっています。その食事研究部は、既に昭和3年(1928年)に発足していた「消費組合」に属していました。
戦時中は食料難もあって、父母による食事づくり以外にも、教員と初等部の生徒で食事をつくるなど、さまざまな工夫をしていたようです。
昭和16年(1941年)、現在の「食糧部」の前身である「食事中央事務局」が、全学園の食事の統一運用機関として開設されています。当初は職員が運営していましたが、昭和27年(1952年)には女子部高等科3年生が全ての運営に当たるようになったと記録されています。
── 先ほどの「自労自治」の一環ですね。
石川:食糧部も、ずっと生徒が運営していました。職員も何人かいましたが、毎年高等科3年生が担っていました。野菜とか肉とか素材別に担当グループを決めて、父母が考えた献立から自分たちで食材をお店に発注し、入荷したものを各台所に分けて・・・というようなことを、高校3年生がずっとしていたのです。
── てっきり、親御さんや職員の方が主体となっていたのかと。
石川:今から15年くらい前までは、食事の管理は高校3年生がやっていたのです。もちろん大人もついていましたが、基本は、入荷する食材の支払計算も帳尻合わせも、生徒がやっていた。
高橋:自由学園のなかで、台所は寮も合わせると8つあります。8部門の食材の調達を生徒が管理していたわけです。
自由学園では調理場のことを「台所」と呼ぶ
石川:今から思えば、すごいですよね。その頃は、初等部や男子部の親御さんが、それぞれ自分たちで献立をたてて「こういう食材をください」と、食糧部の生徒に発注していました。生徒はそれをまとめて、お店に発注書を送っていた。
だけど、学部の組織変えがあった関係でだんだんそれができなくなって、15年くらい前に食糧部から生徒がいなくなりました。
そのことを、築地の魚屋さんなど取引先のお店に、お礼がてら私が伝えに行きました。そうした店とはその当時でも40年以上ずっとお取引をしていたものですから、なかには世代交代をされている店もあって、とある店主の亡くなったお父様が、こんなことをおっしゃていたそうです。「生徒さんのかわいい声で、『ごめんなさい、発注を間違えました!』というお電話が何度もきた。でも、まだ子どもである生徒たちが一生懸命にやっているから、全然嫌じゃなかった」と。
こんなところで助けていただいていたのだな、本当に申し訳ありません、という気持ちになりましたね。でも、「自由学園の人が挨拶に来てくださって、もし父が生きていたら本当に喜んだと思います」なんて言っていただきました。本当にありがたかったですね。
── 発注管理は大変だと思います。発注ミスとか、逆にクレームの電話とかも、全部生徒たちがしていたのですか?
石川:クレームはもしかしたら大人がしていたかもしれませんが、ミスについては、「ごめんなさい、どうにかしていただけませんか」と伝えることはあったようです。
あるときは大豆の発注の桁を間違えて、本当は10キロでいいのに、100キロ来ちゃって、「すみませんけど、これから毎日のように大豆を食べてください」と全校生徒にお願いしていました(笑)。振り返ればいろいろありましたね、物語が。
── それでも生徒主体を貫いて、生徒もちゃんと自分たちでやってきていることが、すでに自由学園の教育の成果ですよね。普通はできないと思います。
石川:やっぱり責任があると思うとやらざるを得ない。面白いもので、若いから、自分でしょって立っているような気持ちになるのですよ、きっと。魔法にかかったかのように、「これは自分が今やらないと」という気持ちになっていたのだと思います。
高橋:責任を受けた子たちはみんな、普段では出さない力を出しますよね。
── そうした子どもの力を、学校の大人が信じている。
石川:本当にそうですね。
高橋:僕たちにとって一番大事なのはそのことです。
── それにしても、生徒にまかせてしまう学校側もすごい。
高橋:まかせても大丈夫。失敗しても、できるようになる。そのなかで成長するということが、わかっていますから。
第二回に続く・・・
インタビュー:塚本サイコ
構成・文・一部写真:吉田真緒
吉田真緒(よしだ・まお)
ライター・編集者。自由の森学園卒業後、早稲田大学第二文学部にて文芸やメディア論を学ぶ。編集制作会社勤務を経て2012年に独立。書籍を中心に、雑誌、Webメディアなど、多数の媒体の制作に携わる。ソーヤー海監修の『URBAN PERMACULTURE GUIDE』にて、EDIBLEの章を担当。共著に『東川スタイル』(産学社)がある。食やコミュニティ、未来へつながる暮らし方をテーマに、取材・執筆を続けている。
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