その子らしく、育む。シュタイナー学園を選択した理由・第1回
都心から中央線下りの電車に1時間ちょっと揺られていくと「藤野」という駅があります。ちょうど山梨県と神奈川県の県境にある藤野は、山と湖に囲まれた小さな町。そんな藤野の駅からさらに車で山道を10分ほど登った先に、学校法人シュタイナー学園があります。豊かな自然の中で、小学校から高校までの12年間、シュタイナー教育を行う私立の一貫校。(昨年学校の隣にシュタイナー保育園も開園)わたしの娘はこの学校に通っています。
■自分の力を信じて、伸ばし広げていってほしいと思った
「芸術としての教育」「自由への教育」を行うと言われるシュタイナー学園には、多くの特色があります。
1年生から12年生まで、各教室はその年齢に相応しいと言われる淡い色で塗られ、野花や木の実など自然の世界にあるものが飾られています。テレビやインターネットなどのメディアに触れるのは高学年以降を推奨されており、子ども達は自分の手足、体を使って学ぶ体験を多く重ねていきます。
編み物などの手仕事や、米をつくったり家をつくったりもします。劇を通しての学びを大事にしていて、入学から卒業までにたくさんの劇に取り組みます。
もちろん算数や国語、外国語(一年生から英語と中国語を学ぶ)などの授業もありますが、教科書は使われず、先生の話を聞きながら真っ白なノートにクレヨンや色鉛筆を使って自分で授業の内容をまとめていきます。
テストも成績表もないかわりに、その年の学びの様子が文章で記された「成長の記録」が渡されます…などなど。
あまりにも特色がありすぎて書ききれないし、おそらく普通の学校とは多くのことが、あまりにも違っている。
そんなわけでシュタイナー学園に子どもを通わせていると話すと「実際どんな学校なの?どうしてシュタイナーにしたの?」と聞かれることもあります。
ほんとうに温かく、語りたい魅力がたくさんある学校です。でもわたしが、この学校を選んだ理由をひとつ言うとしたら。
ここなら娘が娘らしく育つことができるんじゃないかと思ったから、なのです。決まった形に当てはめられることなく、歪められたり折られたりすることもなく、自分の力を信じて、伸ばし広げていってほしいと思った。
シュタイナー学園は、それぞれちがう、その子だけの力を引き出してくれるような学校だと思っています。
2016年の秋、わたしは夫と初めてシュタイナー学園を訪れました。それまで、シュタイナー教育って良さそうだな、くらいの興味はありつつ「テレビを見せない」「おやつや身につけるものは手作り」など聞くと、うちには無理だ…と詳しく調べたり本を読んだりすることはありませんでした。
それなのに娘の小学校入学を目前にひかえ、突然見学に行ったのは、娘の一言がきっかけでした。
■「小学生になりたくない。」という娘の言葉
東京の中では比較的自然が残り、なおかつ便利な人気の街に暮らしてたわたしたち家族。夫は空間デザインの会社を立ち上げて数年、わたしは編集や執筆の仕事をし、なおかつ第二子を妊娠中だったので、娘は地域の認可保育園に通っていました。
小学校も歩いて10分の地域の小学校に行く予定で、ランドセルも購入していたのです。ですが年長の秋、娘は「小学生になりたくない。」と言い出しました。
待機児童何百人と言われる地域でやっと入れたと喜んだものの、敏感で繊細なタイプだった娘には園の指導方針が合わなかったのだと思います。
「保育園では話したくない。」と入園以来一人のお友達以外、クラスメイトとも先生とも話すことができませんでした。家では歌い踊り、大人顔負けに弁も立つのに、保育園に行った瞬間、人形のように固まってしまう。
転園を考えるべきか、辞めたほうがいいのか迷いましたが、いやいやながらも何とか通い、絞り出すような声で挨拶をし、言われたことは取り組み…と、娘なりに頑張っている姿を見たり、夫の「自分も幼稚園も学校もずっと大嫌いだったけど、子どもは大嫌いな場所以外で、ちゃんと好きなことをみつけられるから大丈夫だと思う。」という言葉に、いずれ社会に出るのだから嫌なことに向き合うのも大切な経験かな…と思うようにしていました。
それでも面談などで「みんなと同じようにできるように頑張らせてください。このまま小学生になったら困るのは本人です。」と言われる度、どーんと落ち込みました。
娘の中で「できる」ようになってきた小さな一歩一歩が他の子との比較の中では「できない」ことになってしまうのが悲しかったし、この先の小学校生活もまた、辛いものになるのかな…と思うと親としてどうしたらいいのか途方に暮れました。
でも納得できない思いもあったのです。「がんばれ」と言われる一つ一つ、大きな声であいさつするとか、手をあげて何か発言するとか、運動会の練習に積極的に取り組むとか、そんなこと正直どうでもいい…いや、どっちでもいいと思っていたからです。
大きい声でも小さい声でも、手をあげてもあげなくても、運動会が好きでもきらいでも、そんなことは一人一人それぞれがしたいようにすればいいことです。娘はたしかに苦手なことがありましたが、夢中になることも得意なこともありました。
大好きなことがあればそれで十分だと思っていたので、どっちでもいいことを必死になって努力させたいとは思えませんでした。でも、わたしの気持ちとは裏腹に園生活を通して娘はどんどん自信を失っているように見えました。
まわりから「できない」と思われている、という娘の自意識を感じ、子どもは自分がいる環境や出会う人にたくさんの影響を受け、その中で自分の存在を認識していくんだと感じました。そして年長の秋に出た、「小学生になりたくない。」という言葉。
「小学校は誰も助けてくれない。自分のことは全部自分でできなくちゃいけない。みんなに迷惑かけないように自分でできなくちゃいけないの。」と言う姿にショックを受けました。園の先生たちは娘を思って一生懸命指導してくれていたのだと思います。そして園で求められる「みんなと同じようにできること」は小学校ではより、求められることなんだろうとも感じました。
でも6歳の子どもにとっての未来が、誰も助けてくれない、誰にも迷惑をかけちゃいけない、そんな世界だなんてあんまりだ、と思いました。娘は自分への信頼、自分が向かう世界への信頼、ふたつのものを失いかけていました。でもそのふたつこそ、成長の中で子どもが育んでほしいものだと思ったのです。
■美しいとはつまり、心が動くということ
「みんなと同じ」ことを第一に求められない、一人一人の姿を認め伸ばしてくれる、そんな学校はないかと思った時、浮かんだのがシュタイナー学園でした。
幼児教育としての印象が強かったシュタイナー教育でしたが、調べてみると小学校からの学びは芸術に彩られた、とても面白そうなものでした。
時期的にもう次年度の入学試験は終わっていましたが、それでも問い合わせてみると、翌週見学会があり、さらに年明けには2次募集があることを教えてもらいました。
そんなこんなの急展開で、わたしは夫とシュタイナー学園を訪れたのです。
正直シュタイナー教育に全く触れてこなかったわたしたちが足を踏み入れていいような場所なのか…と不安もあったのですが、校舎に足を踏み入れた瞬間から、出迎えてくれた先生にお会いした瞬間から、そんな気持ちは吹き飛びました。美しく温もりのある、童話の世界のような教室をまわりながら、漢字や足し算の教え方ひとつひとつに、「こんな学びがあったのか…」と驚き、先生の「学びは美しくなくてはいけない。美しいとはつまり、心が動くということです。」という言葉が胸に響きました。
驚きや発見が喜びに繋がる学び。そんな学びを通してシュタイナー教育で第一7年期とよばれる7歳までの間は、とにかく美しいものに出会い、世界を「善」であると感じられるようにする、という話を聞いて、それは今娘が一番欲しているものなのではないかとも思いました。
個人的な相談にも快くのってもらい、子どもはそれぞれ成長の段階やスピードがちがうこと、その時その時の一人一人の成長段階を大事にしているというまなざしにも共感しました。
見学の後、常々「学校なんてつまらないもの」と言っていた夫は「初めて『先生』の言っていることに納得できた。」とつぶやき、「こんな学校なら来てみたかったなあ。」とも言いました。まったく、わたしも同じ気持ちでした。
見学会は子どもの参加はできなかったのですが、翌週には子どもも参加できるマルシェイベント(地域の野菜などの販売も行っていました)が開催されると知り、今度は娘も連れて行ってみることにしました。
ここだったら行きたいというんじゃないかと思っていましたが、「お山にある学校に行ってみよう。」と誘って向かうと、校庭にいた羊に何時間も葉っぱを与え続け、ミツロウロウソクを作り、こちらが想像していた以上に楽しんだ娘は帰り道「あの学校に行ける?お山の学校に行きたい」と言いました。
■苦手なことや嫌なことを我慢し続けて得るものよりも、失うもののほうがずっと大きい
お山の学校に通うためには、都内から離れ学園近くに引っ越さなくてはいけないし、ということは家を探さなくてはいけないし、ということは仕事は今まで通り出来ないこともあるだろうし、その前に試験に受からなくていけないし、同じ時期が出産予定日と重なっているし…と簡単にいかないようなことばかりでした。
それでも、「もしシュタイナー学園に通えたら?」と想像すると、なんだかすべてがとても楽しみに思えたのでした。それまで想像すると、不安ばかり浮かんでいた学校生活が一転、きらきらした可能性あふれる時間に感じられる。不安の何倍も楽しみな気持ちがふくらむ。
思えば、「そろそろ東京じゃなくてもいいのかもね」と夫と話してもいたのです。長年都内に暮らしていて、不便も不満もなかったけれど、ここでずっと暮らしていくことになんとなく違和感を感じ始めていた。それでもきっかけがなければ、ずっと動けないでいただろうわたしたちに、娘がきっかけをくれたようにも思いました。
きっと楽しい学校生活を送れる、そう思えた時に、保育園時代に自問自答していた「いずれは社会に出るのだから、苦手なことや嫌なことにも向き合わなくてはいけないんじゃないのか」ということへの、わたしなりの答えも出た気がしました。もう十分、娘は苦手なことにも嫌なことにも向き合った。
苦手なことや嫌なことを我慢し続けて得るものよりも、失うもののほうがずっと大きい。社会に出て様々な困難に出会うこともあるだろうと思うからこそ、今は心から信頼できる人や場所にたくさん出会い、安心して自分を発揮する経験を重ねてほしい。
ひとつでも多く、そんな経験をすることが、社会に出て行った時に彼女の自信になり、お守りになるんじゃないかと思ったのです。
そんなわけで急転直下の決断と、思い出すのも嫌なくらいの怒涛の日々を経て、2017年の春、わたしたち家族は藤野に引っ越しました。11月にシュタイナー学園に初めて訪れて5ヶ月後。その門をくぐり小学生になった娘が満開の桜の下、笑っているのを見た日はまさに感無量でした。
そこから丸2年とちょっと経った現在、3年生になった娘は楽しく学園に通っています。彼女が「休みの日にも学校に行きたいくらい」と言った時にはのけぞって驚きました。まさか、あの娘がこんなことを言う日が来るとは…と、それだけで選択は間違ってなかったと思えます。
お腹にいた息子は2歳になり、去年開園したばかりの学園の隣にあるシュタイナー保育園に通っています。実際にシュタイナー学園に子どもが通ってみて、わたしたち家族は、暮らしそのものも大きく変化していきました。想像とはちがったこと、想像していた以上に素晴らしかったこと、ここで出会ったたくさんのことが、わたしたち家族を変えてくれたと思っています。
次回は、そんな実際に学園に通う娘の様子やわたしたち家族の暮らしについて、書いてみたいと思っています。
中村暁野(なかむら あきの)
家族と一年誌『家族』編集長。Popoyansのnon名義で音楽活動も行う。8歳の長女、2歳の長男を育てる二児の母。2017年3月に一家で神奈川県と山梨県の山間の町へ移住した。『家族』2号が1/14に刊行。現在販売中。
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