
闘病と介護。絆を深めるだけ深めて逝ってしまう、愛おしいひとたち。
“胃袋を掴む”という言葉を 初めて聞いたときは
ホラー映画のワンシーンような 光景が浮かび
ぞっとしたことを よく 覚えている
おめでたい席で よく聞く台詞ですが
今でも 軽く目を伏せてしまうところがある
先日 着信音とともに 懐かしい知人の名が
スマホ画面に表示されました
懐かしい知人とは わたしの友人の彼で
(彼といっても 二十数年選手)
三人で食事をしたことも 何度かありました
これまでにない 淡々とした口調に耳を傾けていたら
先ほどからの嫌な予感が的中したことがわかった
わたしの友人は 二年間の闘病の末
自宅で 亡くなったとのこと
彼女は自然療法を選び 彼は仕事を辞めて
付き添っていたのだそう
この二年間 コロナ禍もあり
わたしは その友人と会っていなかった
「病気のことは誰にも言わないで。」とは
あまりに彼女らしく 腹が立ち 泣けてくる
わたしは過去に 家族二人の闘病に
付き添い 看取った経験があるので
彼の現在の境遇は 身につまされるものがありました
葬儀は 親族のみだったそうで
ご自宅にうかがい お昼過ぎから深夜にかけて
この二年間 二人に起こったことをうかがった
その日の帰宅後から わたしは
横になれるときは 横になったりして
哀しみや やるせなさを 紛らす必要がありました
つまりは 自分の立て直し作業である
ご経験がある方は お分かりになると思いますが
闘病というものは 本当に過酷で 無残で
本人の苦しみを考えると それまでは
生きるために有効だった 強い意思や楽観主義は
何ごとにも 太刀打ちできなくなってしまう
しかし そのくせ 不思議なもので
そういった暗黒期にこそ ひとは
生涯にいくつもない 尊い瞬間に出会えたりする
例えば 言葉にならない類の 美しい光景を目にする
例えば それまで 気づかなかった 相手の
勇敢さや 気丈さ 芯の強さに 驚かされたり
生命の力に こちらこそが 圧倒させられたり
相手の繊細さ 奥ゆかしさに 気まずさを 覚えたり
ただ 気を抜くと そら怖ろしい 悪態をつかれて
一生 立ち直れないほどの傷を 負わされる
と思うと 不意打ちの冗談
まじめな場所で 涙が出るほど 笑わされるのだ
「自分の一部が なくなっちゃったみたい。
だけど ますます 不思議なひとだと思った。」
彼女は どこか小悪魔っぽい仕種が 魅力的で
センスがよく 粋で 美しいものを 好んだ
だけど さいごの二年間は これまでとは
まったく 別のやり方で 彼の一部となってしまった
ともに 暗黒期を駆け巡り
絆を深めるだけ 深めて
愛おしいひとたちは 逝ってしまう
深夜に喉が渇いて 台所で水を飲む
出口のないトンネル
かつての喪失感を思い出し 怖くなった
それにしても いったい 彼女は
彼のなにを 掴んだのだろう
投稿者プロフィール

- 白砂糖やNa塩、食品添加物不使用の有機スパイスシロップ屋 "ほっぺた” 店主。ライター。エディター。家族の闘病生活や8年間のカフェ営業、幼少期からの体調不良の改善を通じて、体を温めること、食の大切さを実感。体を温めることで起こる自然治癒力、感情や記憶、自己愛の発露に興味を持っています。ピアノ弾き語り、散歩、うたたね、小鳥、日本酒が好き。チネイザン(氣内臓)勉強中。
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