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その子らしく、育む。シュタイナー学園を選択した理由・第3回 最終回

都心から中央線下りの電車に1時間ちょっと揺られていくと「藤野」という駅があります。
ちょうど山梨県と神奈川県の県境にある藤野は、山と湖に囲まれた小さな町。
そんな藤野の駅からさらに車で山道を10分ほど登った先に、学校法人シュタイナー学園があります。

豊かな自然の中で、小学校から高校までの12年間、シュタイナー教育を行う私立の一貫校。(昨年学校の隣にシュタイナー保育園も開園)わたしの娘はこの学校に通っています。

第1回では娘が曲げられることなくのびのび過ごせる場所を探し、入学を決めるまでのことを、第2回では学園に通い始めてからの娘の学びの様子や、訪れた変化についてを書きました。
最終回となる今回は、学園とこの藤野という地域が、親であるわたしたちに気づかせてくれたことを書きたいと思います。

急転直下の決断で、娘がシュタイナー学園に通うことになった時、自動的にわたしたち家族は引っ越しをすることになりました。

里山である藤野は賃貸を借りるにしても中古物件や土地を購入するにしても、選択肢が多くはありませんでした。

3月末には東京の家を出なくてはいけないのに、2月なっても新居が決まらずヤキモキしましたが、幸運にも地元の方の紹介で、湖のほとりの古い一軒家に暮らせることになりました。
藤野では不動産屋さんに出ていない土地や空き家を地元の人たちのネットワークで紹介してもらうことが多いのです。

3月の終わり、夫とわたし、娘と息子は藤野に引っ越しました。
荷解きをしていると、生後2ヶ月だった息子が泣き始めました。
まだ首も座っていないのでおんぶも不安だし、抱っこしていると作業が進まない。
気にしつつも作業をしていると、お隣に住む女性がふらりとやってきて「大変だね。抱っこしていてあげるよ」と声をかけてくれたのです。

そんな経験はなかったので戸惑いもあったのですが、息子を抱っこしてもらいました。
女性は退屈そうにしていた娘にも「おばちゃんの家の庭でモグラが石を掘り起こしちゃったの。
石を集めるのを手伝ってくれない?」と声をかけ「子どもたち、ちょっと見ていてあげる」と連れ出してくれたのです。
1時間後、蔦でリースを作ってもらってご機嫌な娘と、ぐっすり眠っていて今起きたという息子が女性に連れられ帰って来ました。
「また泣いたら見てあげるからね」と女性がお隣に帰っていくと、また見知らぬ女性が現れ「近所に住んでいて、子どもがシュタイナー学園で同級生になるよ。よろしくね」と、どっさりみかんをくれました。

近所の桑の実をいっぱい取らせてもらった子どもたち。

新しい場所での暮らしを始めることに、少なからず不安がありました。
毎日のように街で買い物したりお茶したりして隣の人の名前も知らなかった暮らしから、何もない里山で、近所の人とうまくお付き合いできるのだろうか、というような不安です。

ですが毎日のように誰かが訪ねてきては何かをくれたり、表を歩くと声をかけてくれたりする「ご近所付き合い」のある暮らしの中で、肩の力が抜けていくような、抱えていた重い荷物を降ろせたような気分になっていきました。

そしてずっと自分が、子育ては家の中で完結させなくていけない、周りに迷惑をかけないようにしなくてはいけない、と思っていたことにも気がつきました。

娘は小さい頃癇癪が凄まじく、通報がいき保健所の方が家に訪ねてくることが何度かありました。
心配してくれての行動だと思っても、誰かから良くない目で見られていると思うと息苦しく、気が張りました。
子どもと過ごす時間はいい時間ばかりではなく、手に負えない時、親だって途方に暮れるような時もいっぱいあります。
でもそんな時間を家の外では見せてはいけない、誰かに迷惑をかけてはいけない。
東京で暮らしていた時は自覚がなかったけれど、気付いてみたらそんな思いを子育ての中で抱えていたんだと気付いたのです。

学園に入学し、楽しそうに子どもが通い出す側で、免許も持っていないわたしが赤ちゃんの息子を連れて、山の上の学校まで娘を送り迎えするのは大変な時もありました。
でもそんな時も学園の誰かが車に乗せてくれたり、息子が熱を出したといったら連日娘を預かり、ご飯もお風呂も面倒を見てくれたり、助けてくれました。
どうしてみんなこんなに親切なんだろう、と心底驚き、申し訳なさも感じましたが「誰かに何かしてもらったら、その時にお礼をしなくていいんだよ。いつか自分が出来る時に、困っている人を助けてね」という言葉をもらった時、助け合うってこういうことなんだ、と思いました。
そして助けてもらったように、今度は自分も誰かの助けになりたい、という感情が自然に湧きました。
それまでどこか受け身だった「ご近所付き合い」や「保護者同士の関わり」がちっとも億劫ではないと思えるようになったのです。

そんなふうに学園や地域の人たちと関わっていく中で、子どもとの関係で悩んでいることや葛藤を隠そうとしなくていいとも思えるようになっていきました。
外の世界に向けて「いいお母さん」を見せなくてもいい。いい時も、うまくいかない時も、子どもをみんなで育てる。
できない部分を時に誰かに支えてもらったり助けてもらったり、できる部分で時にはわたしも誰かを支えたり助けたり、そうやって育てていけたらいい。そう思えるようになったのです。

「とねりこ子どもの家」で子どもたち一人ひとりに渡される手作りのお人形。一緒にお昼寝したり、遊んだり。帰る時も一緒に帰ります。

娘が2年生になるタイミングで、学園の敷地内にあったドーム型の校舎(かつて高等部の前身として当時の生徒が作り、図書館として使われていた小さな校舎)が「シュタイナー保育園とねりこ子どもの家」として開園することになり、息子が通わせてもらうことになりました。
傾斜のある庭で季節の野菜や植物に触れ、子どもの想像力を育むおもちゃのある園舎で自由に遊び、地元の有機野菜をつかったおいしい給食を食べさせてもらえる、小さくあたたかい保育園です。

そして今年度からは学校の校舎を使った学童クラブ「キンダーハウス」が設立され、週の何日か娘が通うようになりました。
保育園と学童が設立されたことで、わたしも仕事に向かう時間を持つことができるようになりました。
安心して子どもを見送ることができる場所があり、そして自分の仕事に向かえる環境に本当に感謝しています。

学童クラブ「キンダーハウス」の教室

保育園も学童も、それらが必要だと思った保護者の方々が長い時間をかけて動き、実現されたものです。
シュタイナー学園は「親と教師でつくる学校」と言われ、実際に保護者会が頻繁にあったり、それぞれの行事の中で保護者がするべき役割もたくさんあります。
ですが、それらは義務としてあるわけではなく、子どもたちが育つ環境のために自分は何ができるのか、何がしたいのかを考え、それぞれしたいこと、できることで関わっていく運営の形です。
保育園も学童も、それが必要だと気付き、働きかけて、形にしてくれた人がいたから出来たものなの。
何かを立ち上げていくことは大変だけど、お互いを助け合い、協力しあえるコミュニティの中だからこそ生まれてくる力なのだな、と思います。
そしてきっと、子どもたちの姿もまた、大人を後押ししてくれているのだとも思います。

シュタイナー学園は子どもたち一人一人の個性を尊重し、その子らしく育ててくれる場所だと思っています。
その姿を見ていると、大人であるわたしたちにも、自分の力を発揮することで、何かを実現できるんじゃないか、何かを生むことができるんじゃないか。
自分にもきっと「できる」、そんな思いが湧いてくるのです。

とねりこ子どもの家の季節のテーブル。

子どもたちはあらゆるものを作ります。
編み物でマフラーや手袋を作ったり、洋服を縫ったり、お米や野菜を作ったり、家まで作ったり。それら「作ること」は漢字や計算を覚えるのと同じ、大切な学びとして行われています。
ある卒業生の子の「食べ物も着るものも作れるし、家も作れる。
生きるために必要なことは何でも作れると思える。だから自由に生きることは怖くない」という言葉を聞いた時、何かをひとつひとつ作ってきたという経験は「できる」という自分への肯定感につながるのだなと思いました。
そしてそんな肯定感が、誰に決めてもらうのでもない自分の未来を、自分の力で切り開いていく力になるのではないかな、とも思いました。

親として学園に関わる中で、子どもたちが何かを作り上げ「できた」瞬間に何度も立ち会っていると、わたしだってきっと何かが「できる」んだよな、と思えてくるのです。
子どもたちはどんどん成長して、変化して、時には問題に直面し、乗り越えて、また何かを作り上げていく。
そんな姿を見ている横で、大人である自分は恥ずかしくない姿で立っているかと問われている気がします。
子どもの成長する姿は、人にはたくさんの可能性があるんだと感じさせてくれ、大人であるわたしたちもまた、きっと同じようにたくさんの可能性をもっているはずなのだと思わされるのです。

人と人が集まり何かをしようとする時、すれ違いや対立が起こったり、その結果形にならないものだってある。
問題が起こらないコミュニティなんてないと思います。
でも、だからこそぶつかったり、わかりあったりしながら、関係を築いていきたい。
その中で自分ができる役割が、きっとあるはずだから。
そう思えるのはきっと、藤野という場所、シュタイナー学園という場所が、一人一人を尊重しようとする場所だからなのだと思います。
この場所に来て、わたしはわたしの力を誰かのために、何かのために、もっと使いたいと思うようになりました。
わたしたちはなにもできない一人一人ではなく、きっとより良いなにかを作っていける。
子どもたちの姿にわたし自身が、そんなことを気づかせてもらったのです。

娘も、息子も、これから成長の中で予想もしない出来事が何度も降りかかってくるでしょう。
その度うろたえ、時にはふさわしくない振る舞いで子どもに接してしまう時もあるかもしれない。
でも誰も完璧な人などいないのだから、そんな時を一緒にまた、越えていきたいと思います。
その先にきっとまた、見えるもの気づくものがあるのはずだから。

娘のために、と後先考えず動いた決断は、母親として、そして一人の大人として新しい気づきをくれる大きなきっかけとなりました。
子どもたちが今育んでいるもの、そして一緒にわたし自身の中に育んでいるはずのものを今、信じて一日一日を過ごしているのです。


中村暁野(なかむら あきの)

家族と一年誌『家族』編集長。Popoyansのnon名義で音楽活動も行う。8歳の長女、2歳の長男を育てる二児の母。2017年3月に一家で神奈川県と山梨県の山間の町へ移住した。『家族』2号が1/14に刊行。現在販売中。

http://kazoku-magazine.com

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